岩谷堂箪笥は永い年月を経て多くの職人たちの手によって研究・開発されてきました。
江戸時代後期の岩谷堂箪笥を現在の岩谷堂箪笥のデザインと比較すると質素な印象を受けます。岩谷堂箪笥の種類は、三尺、三.五尺の整理箪笥を基本としていますが現在では、洋服・衣裳・整理箪笥の三点セット、茶箪笥、書棚、小箪笥、座卓など多くの箪笥が生産されています。
珍しい箪笥としては、階段にも利用されたという上面が段々になった階段箪笥。船に積み込んで金庫の代わりを果たしたという頑丈な舟箪笥。火事などの非常時に移動しやすいように車がついている車箪笥(車付箪笥)などその種類は多く、見るだけでも興味のそそられる箪笥があります。
岩谷堂箪笥の大きな特徴の一つは金具にあります。
この金具には「手打ち彫り」のものと、南部鉄器のものと二種類あり、手打ち金具は、その一つ一つが金槌と鏨(たがね)と鑢(やすり)を使い、絵模様が打ち出されます。
「手打ち彫り」は、最初に塗装された鉄板、あるいは銅板に下絵を描いて貼ります。下絵に描かれる龍や唐獅子、唐草模様などの意匠(デザイン)は、長い間大切に受け継がれ今に至っています。板の裏に鏨を当て、金槌で叩いて図柄を刻んでいきます。
表からは線刻し、絵模様の龍や獅子が生きているように浮き上がらせます。彫刻した金属板を裏側からハンマーで打ち出し、さらに膨らみを出し、立体的な彫金を仕上げます。
普通は一棹の箪笥に60~100個ほどの金具が飾られますが、鮮やかに浮き彫りされた絵模様は堅牢さと共に漆の透き通った品格と合わさって全体の重厚感を醸し出します。
岩谷堂箪笥に使われる材料は、欅、桐、タモ、栓、朴、杉などです。
なかでも欅は最も岩谷堂箪笥を特徴づけています。欅は岩手県内北上山系に多く存在します。欅の木を切り出した原木を数年ねかせ、加工する前に製材した欅材を野積みにして風雨にさらし、年月をかけて十分に自然乾燥させます。この自然乾燥の方法を「野ざらし」といいます。野ざらしにすることによって欅のアクが抜けるため、箪笥を作った後、狂い、割れが減少します。この欅の素材を使用し、無駄なく用途に応じた部材が取られ、箪笥へと加工されます。
内部には桐の無垢材が使われており、美しい肌理(木目)と狂いのない桐の特性が大切な衣類を永く守っていきます。
岩手県は古くから我が国を代表する漆の産地で、平泉文化を華麗に装飾した漆塗装の技術が岩谷堂箪笥に生きています。箪笥の外側に漆を塗ることにより外観が美しくなることはもちろん、耐久性も非常に優れたものになります。時を経るにつれ透明感が増し、重厚感と品格のある箪笥になります。
漆塗りには、はけで塗っては布で磨く「拭き漆」と、砥粉と混ぜた漆で目止めをして、研ぎ、その後に精製漆を塗り重ねて仕上げる「木地蝋塗り」があります。この手間のかかる作業があって岩谷堂箪笥の欅の木目の美しさが映えるのです。
仕上げには浄法寺産漆を使用しています。
記録で確認できる岩谷堂箪笥の始まりは、江戸時代中期の天明3年(1783)に岩谷堂の領主である岩城村将の命により、三品茂左衛門が開発したとされています。
三品茂左衛門の流れを引く三品家は、その後も連綿と岩谷堂箪笥製作に携わり、今日に至るまで受け継がれております。
三品家の歴史を知る手がかりとして、岩手県立図書館に収蔵されている「岩城家臣由緒書」の中に、「三品喜太郎勝次指出三品家由来書」という資料があります。宝暦8年(1758)に三品喜太郎勝次という人物が記したもので、曾祖父の代より、代々岩城家の細工方として仕えていることがわかります。資料には書かれておりませんが、年代から推測すると、三品茂左衛門は三品喜太郎勝次の子供の代と思われます。
このように、岩谷堂箪笥の発生から現代に至るまで、三品家は岩谷堂箪笥の重要な役割を果たしていることがわかります。
しかし時代に流されることなく、伝統の技術を守っていくことこそが発展の道と確信し、苦しい時代を乗り切りました。昭和40年代初めに東京のデパートでの展示会を契機として、首都圏を中心とする都市生活者の需要を開拓しました。
昭和57年には厳しい審査を受け、通商産業大臣認定の伝統的工芸品の指定を受けることができました。
そして現代では伝統を生かしながら、今の生活にマッチした岩谷堂箪笥を生産、永い伝統に培われた民芸家具として高い評価を受けております。最近ではマンション住まいの方や外国の方にもご用命いただいております。